音感はピアノを習っていれば自然と身に付くものではない

ある調べ物をしていたら、たまたま別のピアノ教室のサイトが目につき、アクセスしたところ、相対音感についてこんなことが記載していた。

 

「相対音感は、ピアノをやっているうちに自然と身に付きます。」

 

唖然として、その講師のプロフィールを拝見したところ、一応、ちゃんとした音楽大学を出た先生だ。

 

しかし、残念ながら、相対音感や絶対音感に関する誤解が多く、きちんとした指導法も確立していないのが現状だ。音楽大学でさえ間違った音感訓練をしているという現実があり、また、ピアノ教室できちんとしたカリキュラムの下で音感教育を施している所は非常に少ない。

 

当教室では、音大卒の方が相対音感トレーニングを受講しており、また、最近では指揮者を目指して修行中の音大卒の方も当教室に通っている。彼らは皆、子供の頃からピアノをやっており、しかも音大でも音感教育を受けた人達だ。しかし、10年も20年も音楽をやっているにも関わらず、彼らはハ長調の単旋律の聴音でさえきちんと聞き取れない状態なのだ。これは明らかに、音楽大学でさえ音感教育がきちんとされていない証ではないだろうか。

 

彼ら曰く、音大の音感教育はほとんど役に立たず、更に驚いたのは、何と、幼少期でしか身に付けることができない絶対音感トレーニングまでやっていたそうなのだ!これには本当に驚かされた。当然、その方は絶対音感は身に付けることはなく、相対音感もあやふやなまま、卒業してしまった。

 

もし、ピアノを習っているだけで相対音感が身に付くということが真実であれば、何故、彼らは身に付けることができなかったのだろうか?また、何故、多くのピアノの先生や学校の音楽の先生は、きちんとした相対音感トレーニングを生徒さんに提供できないのだろうか?それは、彼らがそもそもきちんとした相対音感を持っていないがために、自分の生徒さんにトレーニングを提供できないのだ。

 

これを知った時、かなり深刻な問題だということに改めて気づかされた。このような先生方が多数を占めている限り、日本の子供達の音感は良くならないばかりか、一流の音楽家、又は音楽教室としての最低限の能力さえ身に付かないまま、低レベルの音楽教育を提供しつづけるだけなのだ。

 

音感教育は、正直手間がかかるし、非常に面倒だ。しかも教える本人が音感がないとしたら尚更だろう。けれども、音感というものは、ピアノをやる上での基礎中の基礎、土台となるもので、本来はなくてはならないものだ。残念ながら、ピアノは本人に音感がなくても、楽器が正確な音を出してくれるから、音感教育がなおざりになるのである。ピアノは、猫が弾いても音が出るので、音感がなくてもある程度のレベルならそこそこ弾けてしまうのだ。しかし、音の識別ができる、転調の識別、複雑な楽曲で音の違いが分かる、正しい音程で歌が歌える、などと言った能力は身に付かない。また、音感がない人達は、同じ音楽を聴くにしても音楽を深く理解して味わうこともできないのだ。

 

私が思うに、どんなことでも面倒なことをやることにこそ価値があると思っている。面倒なことこそ、実は最も重要なものなのだ。未だに日本では、音感教育への正しい理解が欠如しており、非常に残念なことである。これを何とか変えねばならないと思っている。

2019年12月20日